
イエスは弟子たちに尋ねられた「あなたがたは途中で何を論じていたのか」彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからである。そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」(マルコ九・三三~三五)
皆様、初めまして。この四月、鷲見達也先生に代わって広島教会にまいりました山田浩己です。西教区は20年ぶりになります。20年前、京都の修学院、続いて山口の防府におりました。生まれは熊本です。今年五三才になりました。
大学生時代、しばらく関西にいて、神学校には大阪教会から出していただきました。何かと縁のある西教区にふたたび来まして、感慨を新たにしております。以前西教区にいた時には独身でしたが、今回は家族と共にやって来ました。この春、三人の子どもはそれぞれ市内の学校へ、家内は四月一日からルーテル保育所の所長として働いております。家族共々、どうぞよろしくお願いいたします。
上の聖書の言葉は、自分への戒めとして最近心にかけている言葉です。一番先頭に立つ人ではなく、人々の一番後ろから歩く人間になれればと願っています。今、引っ越しの荷解きをしていますが、部屋を整理している中で、旧会堂で子どもたちにお話しをされている柏木先生の写真を見つけました。これも何かの縁と思い、見守っていただきたく部屋の入り口にかけました。思えば牧師になって二六年が経ち、あと定年まで一七年ありますが、あっという間の牧師人生のように思います。パウロは、教会に種をまく人、水をかける人、いろいろいても、成長させる神さまの働きがあるから信仰は育ち、人は生き生きし、教会も栄えていると言いました。教会の働きはいろいろあっても、神さまの働きを失えばわたしたちの信仰は枯れ、わたしたちは死んだようになり、教会も衰えるのではないでしょうか。さいわいなことに、ここにはたくさんの信仰の先輩、証人がいます。賜物も様々です。これから教会役員と皆様と共に、神さまからゆだねられている広島教会の働きの一端を少しでも担っていければと願っております。